2010年11月21日(日)、すがすがしい秋晴れの朝に恵まれたこの日、私たちは献堂50周年の節目の時を迎えました。
すでにご存じの通り、カトリック渋谷教会は1959年12月24日、当時の主任司祭レドュク神父さまによってクリスマス夜半ミサが執り行われ、渋谷教会の歩みの第一歩がしるされました。そして翌年の1960年11月22日に荒井司教さまを招いて献堂式が行われたのです。このため私たちは2009年の11月29日から2010年の11月21日までを献堂50周年記念期間と定め、これまでの50年の歩みを感謝と共に振り返り、現在の共同体を点検し、次の世代へ福音を宣べ伝える道を模索しつつ、様々な記念行事や特別ミサを共同体が一つとなって行ってまいりました。この期間の締めくくりとして、また渋谷教会が将来へ向け次の一歩を踏み出す節目の時として、11月21日午前10時から献堂50周年記念ミサを開祭し、ミサ後の祝賀会で信徒の皆さまと喜びを分かち合いました。
献堂50周年記念ミサでは東京教区から岡田大司教さまを招きヘロニモ神父さま、田中神父さま、ジラール神父さま、プチ神父さま、パウロ神父さま、リゲンザ神父さま、エミリオ神父さまが加わる共同司式ミサとなりました。
記念ミサへは、遠く仙台からもシスターの皆さま、北仙台教会代表の方にもお越しいただき、300名を超える信徒が静かな喜びと共にミサの始まりを待つ中、記念ミサが荘厳の内に開始され献堂式から50年の時を経た聖堂は感謝と祈りで満ち溢れました。この日のミサでは、20年後の渋谷教会へ夢と希望を託したメッセージの入るタイムカプセルが奉納されています。このタイムカプセルは、献堂70周年を祝う渋谷教会に、今を生きる私たちからのメッセージを運んでくれます。
なお、渋谷教会信徒の手紙を入れたタイムカプセルは、2011年1月11日(日)渋谷教会の庭に埋設されました。カプセルが開けられるのは2030年11月の予定です。
渋谷教会の聖堂にて初ミサがクリスマスの深夜ミサとして捧げられて50年目となりますが、池尻教会から始められた東京でのドミニコ会の聖堂の誕生の経緯は、献堂35周年記念誌に掲載された、ジラール神父の「日本に輝く言葉」に詳しく紹介されています。その中に、池尻教会は旧日本軍の騎兵隊のバラック小屋を利用したもので、主任司祭も信者たちも、いつの日か、神に仕えるのにもっと適した教会もつことを夢見ていたとあります。
1952年当時、ラローズ神父は、日本副管区の役員会に「私のみならず、小教区の信者たちも真の教会を切望してやみません。私たちは疲れてしまいます。なぜなら、この建物は時には幼稚園になり、英語教室になり、遊技場になり、そしてまた突然教会に戻るのです。私は、信者たちに神の威厳を感じさせる何かを与えたいのです。美しい教会はそれ自身、神に対する尊敬であり、信仰心の確立であり、そして祈りへの招きなのです」と打ち明けています。
1955年、パレ神父が日本副管区長に任命され、修道院と隣接する大きな聖堂の建設がその任務であり、またそれは急がれていましたが、前職のカナダ管区長であったとき「とりわけ宣教の地としてのこの小教区は、信者が祈るのにふさわしい場であり、その信仰を証しする場であり、また、回心する特別な場所にならなければならない…。そこには神秘的な雰囲気が満ち溢れていなければならないし、十字架と洗礼の水を前にして、全ては主に従うかどうか決断しなければならないのである。」と表明されていました。
1958年、この南平台に土地を見つけましたが、上野の家、仙台の光が丘の修道院、そして池尻の土地も手放す犠牲を強いられることでもあったのです。このような思いと願い、祈りに支えられた神父さまがたの果敢な奔走と努力の結果、1959年12月25日、新築の現在の聖堂で、最初のクリスマス・ミサが、初代主任司祭レデユック神父によって執り行われました。また、隣接された修道院に最初に居住した聖職者として、リシャール、ノレ、ジラール、ボーリュウ、プチ、大宮、スミスの各ドミニコ会士の名前が記録されています。
50年前の聖堂を建立されたドミニコ会士の思いは、神への尊敬と信仰の確立ために、荘厳で神秘に満ちた聖堂として、主のお恵みを豊かにいただき、歴代主任司祭の導きと祈り、そして、聖堂を熱望した信者の先輩方の祈りと積極的な教会活動への奉仕によって、今日の私たちへ繋がっているのです。
(おとずれVol.199 より抜粋)